この記事はアピリッツの技術ブログ「DoRuby」から移行した記事です。情報が古い可能性がありますのでご注意ください。
前回はプレイヤー視点でのセオリーの重要性を説明した。 今回はそのセオリーを踏まえて新しくゲームを作るのは どうするかを考える。
セオリーを守る
前回に引き続き、対戦カードゲームを例に考えていく。
前回は「いかに盤面にモンスターを残して相手に攻撃を通すか」というのが基本であることを説明したが、もし「相手プレイヤーに直接ダメージを与えるカードをたくさん入れるのが強い」場合どうだろうか。これは対戦カードゲームの醍醐味である「プレイヤー同士の駆け引き」を放棄し、壁とやっているのと大差ない状態になることが目に見えるだろう。
このような「当然そうあるべき暗黙の了解」を守ることは土台として必要となる。
新しいセオリーを生み出す
セオリーを守るだけではユーザーからは当然見向きもされない。他のゲームをやるのと変わらないからだ。
例えば「同じカードが手札にある場合、1枚捨てることで残っている同じカードのコストを減らせる。これは対戦中3回行える。」というルールがあったとしよう。このとき、「できるだけ同じカードを入れる」「あまりやりすぎると手札のリソースが無くなってジリ貧になる」といった要素が加わる。そのうち、強いプレイヤーが「現環境ではどうするのがベストか」というセオリーを生み出すだろう。
そう、セオリーはそのときのカードやゲームのルールに応じて刻々と変化するし、ユーザーが見出すこともあるのだ。
セオリーを破る
最後にセオリーを正しく破ることの重大さを知っておこう。
デジタルカードゲームが台頭してきたとき、リアルのカードゲームと決定的で絶対的な差に驚いたことがある。遠くにいる誰とでもいつでも対戦できるとかそんなことではなく、リアルのカードゲームでは非現実的な要素だ。それは「トークンカードの生成」「ランダム実行」というデジタルならではのものである。
「2種類のモンスターの能力を合わせたカードを作る」「存在するあらゆるカードからランダムなカードを発動する」なんてことはデジタルでないとまず不可能と言える。これは「デッキに投入したカードだけで戦う」というセオリーを「デッキ外から追加されるカードも織り込んで戦う」にする進化を対戦カードゲームに与えた。もちろん広い意味では「デッキに投入したカードだけで戦う」は維持されている。
まとめ
セオリーや暗黙の了解といったものは言語化されづらく、どこまでが当てはまるかは人によって異なるだろう。今まで挙げた中にもセオリーという言葉で示されるべきではないものも含まれているかもしれない。
しかしここまでで伝えたかったのは「一般的な共通認識は非常に重要である」という一点に尽きる。ここを疎かにすると手痛いダメージを受けることになるだろう。